やっぱりさ、日本全体が政治を語ることにオープンにならなきゃいけないのかなぁ、みたいな気がしてくるよなぁ。
ゴッチの件とかを見ていると自業自得感がものすごくあるけど、そもそもフェスとかそういうの好きな人って自覚してるかどうかは別としてリベラル寄りな人が圧倒的に多いじゃない。
それはそれなんだけど、結局センシティブな問題を語ること、議論することに慣れていないから起きたことなんじゃないかなぁ、と思うのよね。
"感情ベースでしか物を見ていない"これに尽きるんだよなぁ。受け取る方もね。これは思考停止。
理屈や客観的な視点…感情を抜きにしても合理性があり、納得せざるを得ない意見をまとめる能力。
要は"勝ちに行く"ができてないなぁ、と。
もちろん勝ち負けではないんだけど、付け入るスキを与えない・水掛け論にしない下地を作ることは大切よ…理論武装をしろ、と言うと超いけすかない感じに思えるけど、人々が歩み寄るためには意見のぶつかり稽古は絶対に避けて通れないし、そして、これまでそれを是としてこなかったツケを払ってる。大きな大きなツケを。
補償してこなかった政府が悪い、オリンピックも開催した、みんな大変なんだ、フジロックがずっと続くために必要な痛みだ、アーティストだけに代弁させるな、近隣の住民に何かあったらどうする、最悪の事態が起きたときどうするつもりなんだ、宿や観光業だって厳しい、参加者の自主性に任せるな、抗原検査は精度が低い、満員電車よりマシかもしれんが人が集まってる、人がスカスカ?例年比でしょ…例年と比べて空いてるから安全ってのはお粗末、来てもないのに外野が口を挟むなとか、まぁいろいろあるじゃないですか。論点や論点でもないツッコミどころは。
適度に挙げてってもバーっとこのくらい積まれることを、感情ベースでしか話せない人がものすごく多すぎるから居心地の悪さがずっと残ってる気がしてならないのよなぁ。
ひとつひとつ丁寧に切り分けて考えたらスタンスってのは自然と固まってくるものだし、感情の押し付け合いではなく議論に育っていくものでしょうし。
未曾有の危機に窮しているのは皆同じ。
不要不急のことは控えてほしい、生活を、生命を守るために。
ただ、不要不急なものが支えてきた・支えていくものが大きいのは動かし難い事実。音楽や演劇、スポーツとか、なんかいろいろ。ウイルスを乗り越えること、それだけに絞ればとてもとても無力。控えるよう言われたり、冷ややかな目を向けられても致し方ない。だって、ウイルスを広める可能性はあっても倒すことはないもの。
でも、心のありようだったり、頑張ろうって気持ちの底上げをしてくれる、理屈では担えないパワーを持っているんだよね。SMAPさんも『ムダなことを一緒にしようよ 忘れかけてた魔法とは つまりjoy!! joy!!』って歌ってた。そういうことだと思う。
…だったらば。
それを守るために、きちんと言葉や理屈で向き合っていかなくちゃならないよ。しんどくても。
政治や議論から逃げてきたツケ。
このご時世がゆえとか、いまが旬の課題ではない。
それが可視化されている状況ってだけじゃないですか?きちんと言葉で向き合いましょうよ、向こう岸まで歩み寄ってみましょうよ、という感想。おわり。