当方、安易に動物の画像をふぁぼるタイプのアカウントであるものの、数日前とても納得のいかないことに気づいてしまった。
動物の写真をふぁぼるとき『動物かわいいなあ』以外の気持ちは特にないので、どこの誰ちゃんかはあまり気にしていない。
別に写真としてのクオリティも気にしておらず、かわいけりゃ何でもいいのである。
作家性や画としての美しさはちゃんちゃら求めていない。
だったらなんだよ、好きにふぁぼれや!って話なんですけども
つい最近、写真に添えられたテキストがまぁまぁ鼻につくことに気がついた。
動物にしろ何にしろ、SNSに自身の意志で写真をアップロードする術を持たない者たちに成り代わり写真をアップロードする人々が写真に沿えるテキストの薄ら寒さは9割打者なのでは…と思っている。あくまで体感ですけども。
どうして幼児的な言葉や語尾で媚びた発言をさせられてんの???と一度気になると、どんどん動物の背後の存在が濃くなってきてモヤモヤが止まらなくなってくる。
実在の動物に妄想を重ね、人格を与え、想像上の生き物になっている感じがまぁまぁ怖い。
…怖くないですか?
わたしは怖い。たぶん、動物の画像に『にんじんおいしいでちゅ♪』とか書いているのを見て、ここまでブツブツ言う方が怖い、と思っている人もいると思う。それはそれで正しい感想だし、わたしもそう思う。そんなやんや言うことではない。でも、怖いのだ。これが共感してもらえない事柄だとは思わない。多くの人が『なんだこいつ~~~!』と指をさすとは見越しているけれども。
そんなこんなで(?)動物はかわいいものの、それをふぁぼることで薄ら寒いテキストや背後の傀儡師も含めて評価していることになるのでは?と気になってきて『この無自覚の悪に加担してはいけない』みたいな謎のレジスタンス的感情に包まれている昨今なのである。言葉を持たぬ者の意思・人格を認めるならば、動物だって傀儡ではないのだ。愛玩動物、という言葉の意味を切に感じている。
うるせ~~~!という真っ当な感想が聞こえてきました。
それじゃ、それじゃまた…