そして勝手に踊りだす

くだまき100年、心は在宅 身体は現場 オタク元気で留守がいい。3度のごはんとコスメが好き/エンタメ中心よろずサークル/デザイン・占いもたまに

#極力日記 43

人の心配をしているように見せかけて、全部自分の話!!!っていう最悪のやつをやります。

 

最近、4360万円?とかですっけ?の誤送金で世間がワーワー言ってますけど、なんかもうそれすごいしんどい。めっちゃしんどい。時事とかいちいちインターネット上で触れたくないけどしんどい。

お役所のこととか誤送金された人のことは、みなさん自由に言っててくださいって感じなんですけど、実際にミスした20歳の新人職員さんのことを思うと胸がつぶれそうになる。ほんまに気の毒すぎて言葉が見当たらへん、なんか精神的なケアとかされるんかな。

 

なんていうかさ、20歳そこそこで社会人になりたてで右も左もわからなくて『えっ、そんなことを自分にやらせてええの?』と思っても、どこまで自分の責任なのかとか疑問をたずねてええのかとか確認を求めてええのかとか全然想像でけへんやんね。

社会ってこういうもの?って逡巡しながら受け入れちゃったのかなとか。

自分がもっと踏み出して確認をお願いしていたら、自分がもっと疑問を言葉にできていたら、とか、自分の至らなさだと責めてないとええなと思う。

 

自分にも20歳そこそこ、このくらいの時期に『えっ、そんなことを?』って決断を迫られて引きずっていることがあるので、事情は全く違えどなんか他人の話だとは思えない。

 

まぁ、自分は働き出した年の5月半ばに父親が脳梗塞で倒れて一命は取り留めたけど半身不随 feat.失語になって、そのあとすぐ…ちょうど今くらいの時期に『っていうか末期のガンで永くない』って言われてた頃なんですけど(っていうのがあって、わたしはわりと初夏〜夏は心身ともに具合が悪い)そんな事情だったもんで、いつ迷惑をかけるか分からないし当時の職場に報告したら取締役に囲まれて『どうしたいの?』って聞かれて精神的にすごく参っちゃったのを急に思い出してしまっている。

 

いま思いなおせば、当時の職場なりに考えてくれてたのかな、とか全然思えるんだけど、20歳の社会人歴1か月ちょい、なんか知らんけど父親が死ぬらしい、って言われて状況が飲み込めてない父親に溺愛されて育った小娘には、会社への要望なんか出てくるはずがなかった。相談も質問もできなかった。

 

そもそも質問とかしていいのか分からなかったし、バイトじゃないから投げ出すようなことは言ってはいけないんだろうと思っていたし、仕事なんてしたくないな、と思ったし、落ち着くまで休ませてほしい、と思ったりもしたけど、それっていつまで?とか思うと言い出せなかったし、そもそもそんなこと言うと死ぬって思ってることになる?生きてるのに、こっちが死ぬ前提で行動するのはおかしくない?とか、とにかく今なら『周りを頼りんさいwww』って言いたくなるようなことなんだけど、ずっとひとりで考えあぐねた結果、わたしが頻繁に父親に会いに行ったら父親自身が先が短いことに気付いてしまうと思うし特別扱いは大丈夫です、みたいなことを職場に伝えた気がする(父親に告知してなかったのと、当時わたしは片道2時間かけて通勤していたので平日に面会に行けるわけがなかった)。

 

父親が死ぬまでの2か月くらい、ほんとうに大切な記憶のはずなのに2つほどしか思い出せることがないんだけども、ようやくひとつ増えたと思ったらしんどすぎる記憶でなんか吐きそうなのである。

 

ここまで読んで『あれ?母親には相談しなかったの?』って人もいるかと思うんですけど、母は母で極限だったので相談なんてとてもできなかったですよ。いま思えば、それも相談しろやって思いますけれど。

 

そのくらい、ハタチそこそこって世間がわからないし、もっとなんか気とか遣って接したほうがいいけど、なんか自分なりに考えて判断したり責任とか背負おうとしちゃうよね、だからこそケアしなくちゃいけないし、周りの人間は社会人0歳児に無責任な接し方をするんじゃないわよ、みたいなことを忘れないでいたいし、なんでわたしはこんなニュースからそんなこと思い出してんのよ、結局自分の話かよめんどくせーやなやつだな、ってなってるわけです。

 

だったらなんなん、って話ですけど、こうでもしなきゃしんどいのよね。寝ます。