歳を取ると勉強したくなる、とたまに話したり思ったりするが、それは何故だろう?過去の不勉強を悔いているだけではないよな?と薄ぼんやり考えた結果
さほど教養がなくとも日々を楽しく暮らすことは可能だけど、人生を豊かにすることは教養なしにはあり得ないと気づいたからでは?みたいな結論に着地した。
このときの教養は特に勉学に限るものではなく、勉学も含むもっと感性に寄ったもの…春の天気のいい日に飲み物を持ってあの公園に行くと地域猫が日向ぼっこしていてかわいい、ちょっとボーっとしてこよう、みたいなものでもいいと思うんですけど
なんせ意識的に感じよう、育てよう、としないと、どんどんみすぼらしい年輪を重ねるな〜、と思ったわけです。
自分を日向に連れ出すのも、水を与えるのも、根腐れを起こさせるのも自分しかいないんだよなあ。
人間とは考える葦である、って言ってくれてあんがとねパスカル!あんたのおかげで今日もうだうだ言ってられるわ、それじゃまた。