#極力日記 50 // 続きのない夢のなか
夢を描く仕事の人たちが心に描く夢は夢の外でしか叶わないことがあるらしい、どうやら。
折に触れ、アイドルを応援することは一見ポジティブなようでいて、当人の人間らしさの否定に加担している可能性があることに自覚的でないといけない、みたいなことを考えているし、言い続けている。
けども…さすがにしんどすぎない?しんどいよな?
近年『アイドルも人間!人生を生きよう!』みたいな解放ムードは確かにあるし、アイドルという言葉の在り方は明確に変化していて。
アイドルにも多様性の流れが来ていることは全く否定しないけど、それが少しずつ手繰り寄せたものが今見ている風景そのものと思うとやりきれない。
アイドル meets ダイバーシティの先にヘレンケラーのwaterのような稲妻が落っこちてるなんてな〜…
枷を緩めたら、目を見開いたら、少し手を伸ばしたら、もっともっと自分の人生が豊かになるかもしれない、と思うと動かずにはいられないよな。
しょっぱい比較で申し訳ないけど、転職とかも超キレイに言えばそんな動機だったりするもんな。
一般人ですら、勤続43年!新卒入社で定年まで立派に勤めあげました!みたいな人がかなり珍しくなっているし、そりゃアイドルだってキャリアチェンジしたくなっても不思議じゃないんだよなあ。
だって人生だもの。
こちら側はどうだろうね?
ずっとあることが幸せだと思っているのはこちら側だけで、あちら側からすると絶望なのかもしれない、と思うだけで胸が張り裂けそうになる。
絶望だなんて不躾な表現だと思うけど…人の期待に応え続けることと自分の人生を歩むこと、散々悩んで考え尽くして、やっぱりそこに自らの将来を見出せなかった・信じられなかったってことを重く受け止めるべきなんだと思う。
これまで見てきたもの、いま見ているもの、これから見るものを疑えという意味では全くないのだけれど。
誰しもがそうだけど、自分の人生を生きられるのは自分しかいない。自分と一生付き合うのは自分なのだ。
だから、いくら過去の自分が導かれた道とはいえ、やっぱり本人の選択は他人が口出しできるものではないのである。
悲しい、寂しい、もっと見たい、ずっといると思ってた、どうしてこんなことに?とか、いろんな想いがあったとしても、グッと飲み込んで"何があっても味方でいる"と確信できる存在しか、担当とか推しているとか…やっぱりわたしは言えないなぁって改めて思った日。
みんなが自分の日々を生きている。
そこに何かを重ねたり背負わせてはいけない。
いまここにあるものだけを見つめて、混沌のなかで想うだけ。
でもやっぱり…デビュー曲って10年、20年と歌い続けるものだから、どのグループもエヴァーグリーンな名曲を携えるじゃない?
それがさ、君たちはとびっきりキラッキラのJ-POP史にだって燦然と輝く大名曲をいただいたじゃない?
もちろん、あなたたちの魅力はそれだけではないけれど、あの曲でみんながあなたたちの素晴らしい魅力に気付いて、追いかけてきたってのは間違いではないと思うのよ。
そんな宝物がほこりをかぶっちゃうかもしれないのは、やっぱり寂しいな〜…
『あれも通過点だったね』って言えるほど活躍してくれたらいいから、なんて気丈なことを心から言える人が何人いるんだろうか。道半ばで放り出された気持ちでいっぱいで、しばらく受け止められそうもない。思い出に暖めてもらおうにも、思い出が足りない人ばかりじゃないかしら。
味方ってなんなんだろうか?