そして勝手に踊りだす

くだまき100年、心は在宅 身体は現場 オタク元気で留守がいい。3度のごはんとコスメが好き/エンタメ中心よろずサークル/デザイン・占いもたまに

#極力日記 46

部屋を飛び回る虫をピシャン!と挟み潰してふと、たしかにわたしにとっては些細な忌まわしいことが減り、虫の死はハッピーなできごとだけれども、虫にとっては何となく飛んでいただけなのに、家主の機嫌を損ねたばかりに叩き潰され命を落とすこととなり、これはいったい良きことなのか、悲しむべきことなのか…と、誰も気にするわけのない袋小路へと迷い込んでしまった。

 

壁伝いに考えを巡らせるにつれ、これはきっと人にとっても同じこと、というところに漂着した。

考えを少し掘ると、死を悲しいことと捉えるのは残された人たちや、明確にやり残したことがある人…残し・残されベースの発想であって、逆の…たとえば人生を超エンジョイしていたり、この世に未練はなさそうですねって人…たとえば大往生だったり、とにかく人生がしんどかった人とか、そういう人に至っては、なんかこう、よく生きたよね!えらい!みたいな感じでスーパー祝ってもよくない?みたいな思いがふつふつと。

 

そもそも喪服は故人への哀悼の意が汲み取られれば色は黒でなくともよいそうなので(社会通念上、黒でなくてはなりませんが喪のルールとしては後付けのようです)、ことわたしの葬式においては、どんな死に方であったとしても『よく人生を全うしたよな、なにごともすぐ飽きるのに!人生、ここまでよく続けたわ!』みたいな皮肉を込めてくれて全然いいので、生きたことを讃えて、やっぱりみんなで明るくパーティーとかしてほしい。

みんなで楽しくわたしの悪口で盛り上がったりとかしてほしい。できるだけみんながご歓談できるようネタにまみれて生きるから。

 

そんなことを思いながら手のひらの上で平たくなった虫をティッシュを使って引き剥がし、ため息とともにゴミ袋へ丸めこむ。そんなうずくまった夜がたまにある。